幼子とともにキリストへ

広島女学院ゲーンス幼稚園の歴史

広島女学院は1886年(明治19)年にアメリカ帰りの砂本貞吉牧師により、

W・R・ランバス宣教師らの援助で創立されたものである。

その翌年、ミス・N・B・ゲーンスが来日し、校長に就任した。

N・B・ゲーンスは、かねてより幼児教育に深い関心を持っていたが、

1892(明治25)年に本学院附属幼稚園として創設した。

  キリスト教の由に敬遠され入園者13名のスタートだった。

 神戸の頌栄保母伝習所ミス・A・L・ハウの好意で

留学を終えたばかりの甲賀ふじ、

 松浦晶子の両教師を与えられ、上流川町に新園舎を建て

フレーベル主義の教育を行った。

1904年(明治37)年ミス・M・クックがコロンビア大学の

進歩主義の教育を実践した。

卒業生は戦前1600名を出した。

   1945年(昭和20)年8月、原爆により全てを消失し、

17年間も休園を余儀なくされていたが

     戦後、現在の移転していた大学の校地内に1962(昭和37)年に

当時の学院長広瀬ハマコを園長に

 「広島女学院ゲーンス幼稚園」と改名し再興された。

1982(昭和57)年4月より、当時幼稚園主事の戸波和子が園長になり、

常に幼な子の視座に立って考える幼児教育の姿勢を示した。

1992(平成4)年より新園舎の計画に着手し、

 子どもの夢と希望がくり広げられるような園舎にと 関係者一同計画を進め、

  1994(平成6)年4月に牛田校地内、

大学グラウンドの一角の現在地に新築移転した。 

同時に鈴木道子主事が園長に就任し、自然環境の充実をはかり、

2003年(平成15)年度全国学校ビオトープ・コンクールにおいて文部科学大臣賞を受賞した。

2005(平成17)年4月より菊野秀樹が園長に就任し

保育室を増設し、一クラスあたりの少人数化を図り

ゆとりある保育実践を目指した。

また、未就園児の親子クラス“たんぽぽ広場”の活動内容を充実させ

地域の子育て支援活動にも取り組んできた。

2013(平成25)年4月より、高田憲治が園長に就任し現在に至る。

 

  園児数は現在、3歳児3学級・4歳児3学級・5歳児3学級

計9学級、200名である。

子どもたちの色々な活動がのびやかに行われるような

広い空間のある園舎、

よい空気と樹木に囲まれた

園の内外における自然とのふれあいの中で

 神様の守りを感じながら畏敬の念をもち、

成長していくことを願っている。

 

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