■氏 名(本籍)

方 香蘭(中国)ほう こうらん

■学位の種類

博士(文学)

■学位記の番号

甲第15

■学位授与年月日

平成20314

■学位授与の要件

学位規則第4条第1項該当

■学位論文の題目

反義構成を持つ二字漢語についての歴史的研究

■論文審査委員

主査 柚木靖史 
副査 佐藤恒雄 ・ 渡邊ゆかり ・ 欒竹民(広島市立大学)

 

 

●論文内容の要旨

 

 

第一章の「研究の目的と方法」では、本研究の目的や研究方法及び資料について述べた。まず、「反義構成を持つ二字漢語」を対象にし、意味の変遷を文法、音韻との関係を考えつつ、通時的に考察することによって、日本語における漢語の一類型を見出すことが本研究の目的であることについて述べた。次に、研究方法及び資料は、中国語の意味との比較、共通的考察、通時的考察、訓点資料の利用及び古辞書の利用などの方法を用いることについて述べた。
 第二章の「中日両言語における反義構成を持つ二字漢語」では、中日両言語における反義構成を持つ二字漢語の全体像について考察した。まず、第一節では、『汉语典』を用い、意味上と品詞面から、中国語における反義構成を持つ二字漢語について見た。その結果、意味上では、単義を有するものと多義を有するものがあることが分かった。品詞面では、単なる品詞を有するものと複数の品詞を有するものがあるということが分かった。第二節では、日本語における反義構成を持つ二字漢語について、通時的に考察した。その結果、中国語本来の意味用法に準じたものがある一方、日本で意味変化が生じたものもあることが分かった。第三節では、『日本書紀』(兼右本)などを用い、反義構成を持つ二字漢語の読みについて見た。その結果、音読みされているものと訓読みされているものがあることや、多義の場合、読みが異なることが分かった。
 第三章、第四章、第五章では、「是非」「多少」といった個別的な語を取り上げて考察した。
  第三章の「漢語副詞『是非』の成立及び意味用法上の変遷」では、「是非」を取り上げ、副詞用法の成立からはじめ、副詞「是非」「是非に」「是非とも」「是非ともに」四語の相互関係、意味用法上における時代的な変化について検討した。中国語の「是非」は、「正と不正」(或は「正か不正か」)、「善と悪」(或は「善か悪か」という意味を示す名詞である。「是非」が日本に入って以来、漢文系資料においては、中国語の意味をそのまま踏襲している。しかし、和化漢文や、仮名文といった日本語文資料においては、「是非しらず」「是非なし」のような慣用的な使用法によって、「是非」の意味が抽象化されている。特に、「無是非」「是非なし」は、「是非につけて」という慣用句より、早く現れており、その連用形の副詞用法が中世に現れていることで、「是非なく」が副詞的に用いられていることから、「是非につけて」という慣用句から「是非」の副詞用法が発生したとする先行研究とは異なり、「是 非なし」という形容詞用法が、副詞「是非」の成立要因になることを明らかにした。
  また、第三章では、近世から近代までの「是非」「是非に」「是非とも」「是非ともに」についても考察した。「是非」が最も幅広く使われ、「是非に」は近世から既に使用が狭くなり、主として要求・依頼表現に使用され、「是非ともに」は近世前期に消える予兆が見え、近世後期には消えてしまい、「是非とも」は主として当為表現の中で用いられているなどの現象が見えた。
 第四章の「日本文献における『多少』の語史」では、漢語「多少」について考察した。「多少」に「少し」の意味が存在したのは、日本で明治時代からであることが分かった。現行の日本語の辞書『日本国語大辞典』などでは、日本漢詩『菅家文草』の例を「少し」の意味の例として挙げ、「少し」の意味が平安時代から存在したような扱いになっているが、中世、近世の空白時代を経て、明治時代に復活したとしか考えにくく、やはり「多少」に「少し」の意味が生じたのは明治十八年頃だという結論を導き出し、従来の説を訂正した。
 第五章の「訓点資料における『多少』の読みと意味用法」では、「多少」を取り上げ、「多少」の読みと意味との関係について考察した。漢文訓読において、「多少」が意味によって、読み分けようと意識されたのは、平安中期のことである。また、この時期に「多少」の読みが定着した。『菅家文草』など日本の漢詩や経典に関わる文などに「多少」が見えることを見ると、漢文訓読文が和化漢文や和漢混淆文に次第に影響し、浸透するようになってきたことが考えられる。
  この考察によって、日本漢詩や上代における漢文、または古文書類、古記録などの和化漢文の読み方について、「多少」を音読することが定着したことが分かった。
 本研究は、「是非」「多少」といった個別の語の考察を通して、反義構成を持つ二字漢語の意味用法の変化について検討した。「是非」は、日本的な用法によって、漢語として持つ実質の意味を失い、抽象化されている。また、意味の抽象化は、副詞になる契機になると思われる。「多少」は、品詞変化につれて、意味の抽象化が起こり、不定の意味を表すようになり、さらに、「少し」の意味に変化したと考えられる。つまり、名詞の副詞化は、漢語の意味の抽象化による品詞変化である。或いは、名詞の副詞化につれて、漢語の意味が抽象化されることである。いずれも、本来反義の漢字の組み合わせの意味が融合され、ひとまとまりの意味に変化したのである。また、意味用法の変化の時期から見ると、「是非」は、中世で、「多少」は近代である。このように変化の時期が一致しない。しかし、中世であれ、近代であれ、いずれも言葉の変化が起こりやすい時期の変化であり、時代的な背景が語の意味変化に大きく関わることを示している。