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『枕草子』は11世紀初頭、漢詩文・日記・紀行・物語文学が盛んな時代にあって、これらと異なる新たな文学ジャンルー随筆として誕生したのである。漢籍の教養が濃厚に裏付けられたこの作品では、作者清少納言が自在で豊饒かつ繊細な筆を執り、自分を取巻く四季折々の興趣や風情、人々の情感や動き、一心に奉仕する中宮サロンの笑いに満ちている栄華の日々など「をかし」の世界を構築している。本論文は、 『白氏文集』 『李嶠百詠』および『和漢朗詠集』などの漢籍資料に基づいて、季節感にかかわる植物(第一章) ・動物(第二章)の題材の取り入れ方、鋭敏な感性一聴覚にかかわる描写の特徴(第三章)、漢詩文を受容する方法(第四章)、という三つの方面から、清少納言がいかに人間の実生活に密着して物事を美的かつ知的に捉えているかについて、和漢比較文学的な考察を試みるものである。
第一章第一節「梨の花」では、 「梨花」に関する題詠詩を調べ、その純白な潤いのある姿、しっとりとした特有な落ち着きが美女を 比喩する題材として詠まれていることを考察した。そして、清少納言が「梨の花」を女性の顔つきに重ね合わせた上で、亡き楊貴妃の感泣した玉容を描いた白居易の『長恨歌』の一句「梨花一枝、春、雨を帯びたり」を引いた目的、すなわち人間との繋がりが深い「梨の花」の価値を改めて認識する創作意図を論じた。第二節「桐の木の花」では、清少納言が「木の花は」段の主題に即して「桐」の紫色の花、大きな葉を描く一方、 「こと木どもとひとしう言ふべきにもあらず」の 一文によって、 「桐の木」の特質を重視する文章の展開を指摘し、今まで先行研究では触れられていない漢籍資料をも用いて、樹木としての「桐の木」の瑞祥の霊力を備える格調の高さを発見し、身近にあるものとして材質の特異性を再認識する作者の考えを探った。
第二章では、もっぱら「ほととぎす」について考えた。第一節「漢詩文の「杜鵑」と比較して」では、 @ 「和歌伝統の継承」、 A 「年中行事との融合」、 B 「ほととぎすの鳴き声への賞美」の三点を論じた上で、杜甫の『杜鵑行』や白居易の『琵琶行』と比較して、清少納言がほととぎすの悲しいイメージを払拭し、季節の最高の鳥として美的な快感が溢れるほととぎす像を創り上げるその真意を考えた。第二節「『古今和歌集』と比較して」では、ほととぎすが@祭りに欠かせない添え物として捉えられていること、
A登場する時間や場所に具体性があること、 Bその美声に傾聴し、ほととぎすの鳴く心情を想像する表現を用いていることを指摘し、作者が意図的に和歌の世界から離脱し、自らの生活に融け込んでいるほととぎすの快活なイメージを新たに築いていることを明らかにした。
第三章「宮中の夜の音の風景」第一節「「夜まさりするもの」における「琴の声」」では、白居易の『清夜琴輿』詩等を通して、夜の琴の声は天地自然のかなたまで響きあうひっそりとした「幽音」であることを調べ、清少納言が「物と時」の視点から物事の美を時間的な概念と結びつけて「樂の音」を独自に追求していることを論じた。第二節「しのびやか(に・なる)をめぐって」では、 「しのびやか」な男女の逢瀬、女性が古歌を「しのびやかに」
誦じ、ものを隔てて向こうの人自身も、聴く側の作者も、共通した美意識のもとで生じる「しのびやか」な音響を描く場面々々を通して、丁寧に細かく遠慮探く振る舞うこと、即ち「しのびやか」な音声行為を褒め称える清少納言の美意識について考えた。王朝人の奥ゆかしい「しのびやか(に・なる)」の美意識に対して、第三節「漢籍における「かすか(な) 」音・声に関する表現についての一考察−白居易の『琵琶行』を中心にして−」では、主に「切切」「幽(咽)」 「暗」 「悄」の四つの表現を考察し、これらの表現は辺りの物淋しい雰囲気、またそれと一体になった作中人物や虫などの生き物の悲しい心情が表されていることを明らかにした。
第四章「定子サロンと漢詩文」第一節「朗詠の場面をめぐって」では、漢才が溢れる伊周、斉信をはじめ、中宮サロンにおける男性貴族が独擅した文藝「朗詠」を明月のある情景に嵌め込み、絵画的に描写する清少納言の創意を明らかにし、漢籍の受容方法について、
@原典の意味を変えず直接に引く、 A原典の意味をそのまま取らず情景にあわせて改編する、 B 「なにがし」 「なに」などの不定代名詞でぼかして引く、の三点に分類し分析を行なった。第二節「清少納言の「答」」では、
「自讃談」の章段について、 「情景の設定」「出題に対する作者側の応答」
「出題側の意図と反響」 「天皇中宮様の褒め言葉」といった文章の構成を明白にし、「草の庵を誰かたづねむ」などの「答」とその表現の仕方には、漢詩文の知識を生かした新たな持ち味が生み出されていることを分析して、それぞれの「答」は女性として中宮女房としての智恵を絞った結晶であり、責任を果たした証であることを論じた。
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