人文学部 日本文化学科 ニュース

「日本語教育」は、「国語教育」とどう違うのでしょうか。 「国語教育」は、基本的に日本語を母語とする人たちへの教育を指すのに対して、「日本語教育」は、日本語を母語としない人たちに日本語を教えることを指します。 日本文化学科では、日本語教育に携わる日本語教師を養成する課程があり、卒業生が、国内外で活躍しています。  

8月26日のオープンキャンパスでは、渡邊ゆかり教授が、日本語教師のお仕事について具体的にお話ししました。

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例えば「図書館にピーターラビットの本が置いてありました」と「図書館で本を読みました」の「に」と「で」の違い。日本語を母語とする人は、日常生活の中で培われた言語感覚で、使い分けの判断をしていますが、外国の方をはじめ日本語を母語としない人には、この使い分けがたいへん難しいのです。日本語教師には、この使い分けを論理的に説明する力が求められます。日本文化学科では、少人数での学びの中で、このような言葉の力をしっかり培っていきます。 日本の内なる国際化は急速に進展しています。日本語教師は、これからの日本において、様々な場で大切なお仕事になっていくはずです。海外で、あるいは日本で、日本語を教えるお仕事に携わってみませんか。また、国語教師にも、日本語を母語としない人がいる教室で教える機会が確実に増えつつあります。日本語教育の知見は、きっと国語科の指導にも役立つことでしょう。  

午後は、足立直子准教授の指導による体験コーナー「本の紹介ポップを作ってみよう!」。

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参加のみなさんには、幼い頃に読んだ絵本を題材にしたポップづくりを通して、「人を惹きつける言葉選び」を楽しんでいただきました。

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8月23日(木)、国際教養学会主催の平和学習会を開催、日本文化学科、国際教養学科、生活デザイン学科の1~4年生、7名が、本川小学校の平和資料館を訪れました。

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本川小学校は、爆心地から最も近い小学校で、約400名の子どもたちと10名の教職員の尊いいのちが一瞬にして奪われています。平和資料館は、原爆の被害を受けた状態そのままに残されており、被爆の悲惨さについて学び・考えられるところです。また、本川小学校は「はだしのゲン」が通っていた小学校のモデルとされています。 私たちは、小学校のみなさんのあたたかい手書きの言葉で迎えていただき、ボランティアガイドさんの丁寧で思いのこもったお話をうかがうことができました。

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参加者の感想を拾いながら、私たちがこの場所に立って、考えたこと、思いを巡らせたことをお伝えしたいと思います。

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私は、呉市で生まれ、小学校まで呉市の小学校に通っていましたが、全学年の教室に「はだしのゲン」が置いてあったのを覚えています。幼いながらも、この本を通して原爆の恐ろしさや平和の大切さを学びました。本川小学校のことも知っていましたが、実際に足を運んだのは今回が初めだったので、とても緊張しました。今回の見学を通して、普通の生活を送れることがどんなに幸せなことであるかを改めて感じました。被爆当時の学校は、教室らしさが跡形もなく、勉強するための机や椅子さえもなかったという事実がとても悲しかったです。

一瞬にして尊い多くのいのちを奪うとともに、生き残った人々を苛酷な状況に追い込んだ原子爆弾。ここで何があったのかを知ることの大切さを参加者全員が感じました。

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原爆の熱線がどれほどの熱さだったのか、熱線を浴びた瓦を実際に見せてもらった。たった3秒でこれほどの黒さになる熱さだったと知ることができた。これを再現するためにガスバーナーで焼いたところ、1500℃ではこのようにならず、1800℃以上でようやくこのようになると知った。当時の水が入ったままの、800℃から1000℃で変形したガラス瓶も見せていただいた。被爆時は、それ以上に火災も起きていたため想像もつかないほどの熱さだったことがわかる。

まさに想像を絶する高熱です。焼けただれた瓦やガラス瓶を目にすると、核兵器の非人道性を感じないではいられません。

平和資料館は、被爆した建物というだけでなく、被爆された方々のお墓であることを知った。原爆の熱線は、コンクリートの校舎の中の木材が焼けるほど強かったことも、実際に見て理解できた。

私たちが立っているこの場所で、亡くなった方々がそのまま焼かれ、埋葬されたことを知り、また、校庭の臭いを消すために大量の石灰がまかれ、それが地層のようになっているというお話をうかがって、言葉ではとても言い表せない気持ちになりました。

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本川小学校は、当時の公立小学校の中でも、最新の技術を駆使して立てられており、水洗トイレが設置されるなど設備が整い、また、関東大震災をふまえて、災害が起きても崩壊しないようにとコンクリートを用いて建てられた、当時からすれば先駆的な建物だったそうです。しかし、原爆は、想像以上の破壊力で広島の街を変えてしまいました。本川小学校も窓ガラスは窓枠を残して吹き飛ばされ、ところどころ亀裂の入ったコンクリートのみになった写真がありました。ケガ人が大勢運びこまれ、グラウンドは火葬場とされていたそうです。そのグラウンドの土に混じった人骨の展示を見ました。子どもたちが遊んだりしていた場所にあったと思うと恐ろしいと感じました。けれど、なくなった人を一人一人埋葬することもできないくらい広島はたいへんな状態にあったことがよく分かりました。 また、原爆によって孤児となってしまった子どもたちが生き延びるために盗みをしたというお話は、本当に悲しいと感じました。自分たちの家族の生活もままならない中で、それ以外の子どもの面倒を見ることはできない困窮した生活であったというお話をお聞きし、「原爆はそのあとが本当の地獄の始まり」という意味が分かりました。

原爆が投下された後の広島の街の中で、人々がどのような状況に置かれていたのか。亡くなった多くの人々が埋葬されたその土の上の子どもたち、街にあふれていた原爆孤児。子どもの目線に立つと、戦争の悲惨さと愚かさが、よりいっそう見えてくるように感じます。

私の祖母は被爆者であり、戦後の厳しさを、幼い頃から祖母に聴かされていた。祖母は、両親がおらず、小学校も卒業せずに働き始めたと言っていた。戦後、月日が経ってから生まれた私たちにとって小学校を卒業することは当たり前のことだが、戦時中や戦争直後の人々にとっては当たり前のことではないと改めて感じさせられた。戦争は、命や街をなくしてしまうのはもちろんだが、生活そのものもなくしてしまうものだと思う。戦争や原子爆弾がなかったら、その人には別の人生があっただろうと考えると、戦争は悲しいものだと感じる。平和公園の石碑に刻まれている「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」という言葉に恥じないよう、さらに平和や戦争のことを学び、戦争のない国をつくっていきたいと思う。

本川小学校での学習の後、私たちは爆心地に立ちました。

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「はだしのゲン」の学校で見たこと、考えたことを振り返りながら、平和公園の慰霊碑を巡り、最後に被爆二世のアオギリの前に立ってアオギリの歌を聴いた後、解散しました。

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学徒動員の碑を改めてじっくり見ることができ、たくさんの学生が学業でなく工場での労働を強制され犠牲になったこと、広島だけでなく他県の学生も犠牲になったことを感じた。 アオギリの歌は幼稚園の頃から知っていて、大学生になって改めて聴くと心に響くものがあった。「これから生まれてゆく、広島を大切に」「広島のねがいはただひとつ、せかい中のみんなの明るい笑顔」

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あの日と同じ8月の太陽の光を浴びたアオギリの葉が、夏の風に揺れていました。

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今まで知識としてしか知ることができなかった神楽と田楽にふれることができた。神楽では、実際に使われる道具を作り、田楽を着物を着て踊った。今回のことを通して学んだのは、学習とは、知識として頭に詰め込むだけのものではなく、実際にふれて感じることで吸収するものだということだ。

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今回のことを、プリントや映像で見ても、今ほど理解することはなかっただろうと感じている。私はようやく先生方が初日に言われていた「体験を経験に」を理解することができた。

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受講生の感想です。アクティブに学び、同時にしっかり考え、発表する中で、「体験」を「経験」にしつつある姿が見えてきます。

最初は、周りに友達がいなくて、不安でいっぱいでした。でも、班で話すことで、自然と友達が増えて楽しい三日間でした。自分が住んでいる広島でも知らないことばかりで、あらためて知りたいと思いました。 浴衣を着て実際に稲を植える所作をしたのは、腰をかがめてたいへんだったけど、本当に面白かったです。また子ども神楽団の演奏を近くで聞くことができたのは、とてもいい体験でした。その場で気になったことも、直接質問できてよかったです。

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共に学び合う中で、仲間ができます。目的を持って学ぶなかでできた仲間は、単なる「仲良し」ではなく、お互いに切磋琢磨し成長していける学友です。また、初日も二日めも、みなさんから活発に質問や意見が出され、白熱した、それでいて心地よい学びの空間ができました。このような空間の中で真剣に考え、それをぶつけ合う中で、一過性の「体験」であったものが、自身の血となり肉となります。まさに「経験」が形成されていくのだと思います。

ここに来て、神楽も田楽も貴重な文化の一つとあらためて感じました。そして安芸太田町の方々のお話を聞いて、伝統を伝えていく中でのたくさんの苦労を知ることができました。

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伝統を継承する辛さを知る度に、「じゃあ私の地元はどうなっているんだろう」と地元に対する思いも湧き上がってきました。地元にもどったとき、できる限りたくさんの人に伝統のことを聞きたいし、自分でももっとたくさんのことを勉強したいと思いました。

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安芸太田町の方々のご指導を受け、お話を聞く中で、少子高齢化が進む日本の現状が見えてきます。実際に体験し、直接、お話を聞いてこそわかつたことがたくさんありました。貴重な時間を割いて、セミナーを共に創ってくださった安芸太田町のみなさんに心より感謝しつつ、若い世代に何ができるか、大学に何ができるか、受講生のみなさんと共に考え行動できればと思います。

自分でも驚くぐらい神楽や田楽に興味・関心が湧いてきました。神楽は神楽でも堀神楽団ならではの舞い方や小道具の作り方があったり、花田植の衣装がその土地によって異なっていたりということにも驚きました。自分の地元ならではの伝統を継承し、つないでいこうと一生懸命取り組まれている姿に感動し、また、地元への強い愛と誇りを持っておられることをひしひしと感じました。

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国際化が進んで外の文化がたくさん入ってくる今こそ、日本ならではの文化を知って、体験して、伝統や素晴らしさを国内にはもちろん世界にも発信していきたいと思いました。

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まさに、このように若いみなさんが思い行動してくださることが、日本文化学科スタッフにとって何よりうれしく、またそんな若い人たちをたくさん社会に送り出したいというのが私たちの思いであり、強い願いです。広い視野を持ちつつ、今、ここにあるものを大切にして、私たちの大切な文化を守り、あるいは更新(バージョンアップ)し、広く内外に伝えてほしいと願っています。

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